昔、師匠から習った
ことを自分なりに書きます
思考を定義する。
これは、僕なりの定義です。
「思」が潜在意識
「考」が顕在意識
「思」が神
「考」が人間
これが、潜在意識と顕在意識に
なります。
陰陽の絵をよくみると
白いほうに黒いほうにも
反対の色が小さくあると思います。
陰極まって、陽になる。
白い潜在するものにも顕在がある・・
潜在意識の中にも「人」としての
顕在意識がある。
黒い顕在するものにも潜在がある・・
顕在意識の中に「神」は存在する。
この両方が陰陽模様のように
均等になれば
「神の元」にたどりつくことができる。
顕在意識=頭で考える事=仮想現実=
自分の頭だけで考えてる意識
潜在意識=想うこと(思うこと)=
良くなる意識=還る意識
良くなるをどこで捉えるかで
展開が違ってきます。
潜在意識→人として良くなる
顕在意識→自分が良くなる
良くなるを「人として良くなる」に
するか「自分が良くなる」にするか
その割合を50:50にできるか
90:10にするかということです。
「自分が!」を主張していると、
顕在的なので顕在エネルギーが
大きくなる。
だから潜在エネルギーは
おのずと小さくなる。
1+1=2
1+1=0=∞
この数式のように物事を
どう捉えるかです。
1+1=2 以外にありえない。
1+1=0=∞ 0にも
無限大にもなる。
数式では、1+1=2が正解です。
だけどこの世の中で起こってる
ことはどうでしょうか?
1時間で800円頂いてる人・1万円頂い
てる人・100万円頂いてる人
1時間で、人によって稼いでる金額は
違います。
人の能力とも言えますよね。
全ての人に能力はあります。
顕在的な人は顕在的に使い、顕在的が
少ない人は、潜在的に使っている。
「自己主張が強い!」も1つの
能力です。
もしその人が人として、人に使えるの
ならその時から展開が変わります。
何に満足するのかで使い方が
変わってくるはです。
人に使うか?
自分に使うか?
「使う」は、偉そうに聞こえる!
上から目線言葉。(人を使う)
「使える」は、従うという言葉!
えらそうではない。(人に仕える)
精神世界(スピリチュアル)の業界で
誰かが語っている。
全てポジティブに!を言葉通り
受け止めて行動してる人。
本当に辛くなった時に周りが
見えなくなって落ち込んでる人
周りにいませんか?
そういうことです。
頭をお花畑にして
「私、かわいいお人形さんになの!」
で生きれているなら
どこかの王女様なの
かもしれません・・
だけどその国が滅んで王女で
なくなったらどうなんでしょう?
精神世界(スピリチュアル)は、
そういう考えを前面にだして
人を集めてるような団体もあると
思いませんか?
精神世界を否定してる訳では
ありません。
その世界にはまって抜け出せなくて
現実がつらくなってその大きな
精神世界に逃げることしかできなくなる
人がいるのではないかと思っているんです。
精神世界と顕在世界の真ん中に
いるのが、いいんじゃない?
と言いたいんです。
顕在世界は、自分の頭で
考えてることでいっぱい
つまり仮想現実世界
ほとんどの人は、自分の考えで
生きてますよね。
その集まりと考えれば、
仮想現実の世界
精神世界は、この世に存在しない
世界だからなんでもありの世界、
自分が思えば何でもかなう!
じゃあちょうど良い、
真ん中の世界は?
空海さんの言葉を借りれば、
中道ということになります。
両極端に、偏らず、 こだわらず
ってことですよね。
これが、できそうでできないんです。
その割合を限りなく50:50に
することが
奥義なんだと思います。
だからこそ、自分で顕在世界と
精神世界の割合を調整する。
90:10の人は、頭でっかちに
なりすぎてるので
相手の言うことも素直に聞いてみよう!
とかです。
精神世界の人は、神様が絶対
助けてくれる!ではなく
神様は、たまに助けてくれるとかです。
それぐらいの考えのほうが、
いいんじゃない?
と思うのです。
陰陽の模様のように、50:50に
できる人はすごいんです。
お釈迦様だって苦行の末に辿りついた
境地ですもん。
きっと、陽極まって陰になる
陰極まって陽になるで
そこへ辿りついんたんでしょうね。
極めつくしたら満足の末に
そこへ還るんでしょうね。
だから、頭でっかちの人はとことん
頭でっかちになって
やり尽くすのもありです。
徹底的に理論・科学的に調べ尽くす
とか・・
そんな人は、結局現代でも中道に
なってる人が多いと思います。
思考
「思」が神
「考」が自分
この真ん中になるのが思考だと
思います。
鋼の錬金術師のセリフを借りるなら
全は一、一は全
手を変え、品を変え、昔から人が
言ってる奥義とは
真ん中の考え
自分はいち人間、神ではない。
自分の思考をただすことが
幸せになる答えだと思います。