成仏するには?
現代は、90%の人が成仏できていない。
そうスピリチュアルな話題で取り上げられてます。
成仏できなかったらどうなるんでしょうか?
ちょっと考えてみませんか?
現実主義(科学主義)の人は、死んだら何もない!
「ただの無!」それ以上、それ以下でもない。
死んだら終わり!何も感じない!以上でしょうか。
科学主義で考えれば、死=無
宗教・精神世界で死は、天国・地獄・輪廻転生など
死後は、別の世界に進むという考えです。
魂が輪廻転生を繰り返し、人生を何度もやり直しているという思想。
輪廻転生はなく、死後は天国か地獄どちらかへ行くという思想。
宗教・精神世界で考えれば、死=別世界(別次元)への移行
死=無=別世界への移行
死をどう考えるかで生き方が変わる
逆説的に言えば、死をどう捉えるかで生き方が決まる。
僕は、死というより老い朽ち果てることに恐怖を感じました。
小学5年生の時に・・
理由は、僕の祖父が亡くなったことです。
誰より可愛がってくれた祖父が、動かなくなり息をしていない
身体に触った時、火葬場で骨だけになった時、人はいつか老い
消えてなくなる。
いつか自分もそうなるのか・・と思ったとき死ぬことより年老い、
何処か別の世界に行ってしまう。
好きな人と会えなくなる喪失感それに、悲しさを覚えた少年時代。
僕の母方の家系は、田舎の信心深い人達だったので
「おじいちゃんは成仏したんだよ!」と
当時の僕の感覚では、どっか違う世界へ行ってしまった。
それ以上、それ以下でもなかった。
時が経つにつれ、祖父のことは天国へ行ったんだ。
そして見守ってくれている。そう思うようになった。
だけど、天国とは?地獄とは?という考えがでてくる。
知識がついてくると、天国も地獄もないという考えもでてくる。
精神世界の話を聞くと、人は輪廻転生をする。
宗教団体の話を聞くと、限られた人だけ天国に行ける。
あるいは前世からのカルマを、解決しないと成仏できない。
色々な意見・思想に触れるけどもいまいち”ぴん”とこない。
ただ、感覚的には自分が死んでも何らかの感覚が残りそれが、
死後もそれが何処かで存在するのでは?というのが結論だった。
仏教でいう四苦八苦、僕は生きることこそ一番つらいことなのでは?
と思うことがあるからだ。
年老いた人の話を聞くと、早く天寿をまっとうしたいという人も沢山いる。
なら逆転の発想をするなら死の意味・真実がわかれば、
生きる意味がわかることになる。
生きることを考えるより死の意味がわかれば案外今まで悩んでたことが、
全て解消する入口になるかもしれない。
悩んでる人は、生きていることがつらいと思っているはずだから・・
前世は存在するのか?
死の意味のひとつ、前世について考察します。
人間が間違いをおこす言葉に「前世」という概念があります。
何が間違えか?前世を自分が経験したものだ!
という考え方ではないのでは?と思います。
前世からの悪い行いがあるから今が不幸になっている。
そんな理屈で今が不幸なのは、違和感を感じます。
現世での自分は前世では、存在しないことを考えなければ
遠い昔に自分が生きていたと錯覚します。
今の肉体は、今生まれてきて死ぬまでが肉体の脳の記憶であって
何百年前にこの肉体(自分)が生きていたわけではない。
もしそうであれば、人口がこんなに爆発するでしょうか・・
前世が必ずあるなら人口がこんなに急激に爆発するのでしょうか?
その前世の魂が分かれてあなたの前世になっているとしても多いと感じます。
そして天国・地獄があるならそこに残っている人は?と考えれば矛盾をおぼえます。
証明・確証はできませんが、人間の身体に自分と違う意識体が入ったとします。
自分の身体には、脳の意識と別の意識が人間には2つあることになりますよね。
脳の意識は、脳ができた時点からの記憶しかないはずです。
だから前世は存在しない!学者の考え方が正しいと一般的になるはずです。
魂という言葉があります。この言葉は、古代から使われています。
その辺に動き回る見えない人間を魂と云う人がいます。
幽霊は魂ではないこととします。ここでは!
ここでは、魂とは神意識の分子と定義します。
それが、輪廻を繰り返している意識体と僕は定義します。
ここからは、僕のおとぎ話として進めます。
僕らが生まれて3ヵ月ほど経ったら、赤ちゃんが人になります。
その前は人間という動物の赤ちゃんで魂の意識が入った時に
人になると思ってください。
入ってきた魂の意識を心としましょう。
心は、脳で作りだすものではないとしてください。
意識体は意味があって人間の中に入ります。
意味の根本は、人として良くなるの意識です。
良くなる意識があるので今の人間に進化したとします。良くも悪くも・・
動物は良くなる意識がないので人間のように進化していないはずです。
これは、良いも悪いも判断しないでください。
本能、生まれつきもっている行動へ駆り立てる性質です。
脳意識は、生き残るため(本能)で、2つの意識が他の生き物より進化が
あったんだと考えてください。
生物は進化しています。それは「良くなる」ではなく「生き残るため」
だけの進化だと感じませんか。そうだと定義します。
「良くなる」を与えられた人間は、脳も進化して「自己(自分)」を意識し始めました。
「良くなる」を「人として良くなる」・「自分が良くなる」
2つの考え方に分かれたとします。
「生き残るため、人より良くなる」に偏りだすと色々な悲劇が生まれます。
自分が生き残るためを脳が考えると、自分中心の考えを正解にするようになります。
人を殺すのも、「自分には邪魔だから」「自分にとって嫌いだから」
殺人も良くなるの捉え方で展開が違うことがわかると思います。
仏教でいう108個の煩悩
108とういうのは、数が多すぎて決まっている訳ではありません。
言いたいことは、この煩悩を少なくすることが大切だよ!ということです。
この多すぎる煩悩を少なくすることが課題とします。
人間の煩悩を少なくしようとする意識を心とします。
意思期待を魂の意識とします。
ひとつの生涯でその全てを無くすことは、かなりの難易度です。
本能近くまで戻る人は、存在したと思います。
そういう人は、前世を感じることができたと思います。
前世を感じることが、できる人は「生まれてきた意味」を
理解できるのかもしれません。
だけど、その他一般人にはわかるはずがありません。
だから、成仏という言葉が生まれたんだと思います。
悔いを残さず肉体と離れる=成仏
僕は、そう定義します。
「悔いを残さない」場合肉体が滅びるとき、僕らの脳意識は
何かに導かれて高次元に戻ることができるんだと・・
反対に悔いを残すと、高次元に行けずにいわゆる幽霊になり
この世にただよう存在になるんだと。
幽霊(この世にただよう存在)が、死の恐怖だと僕は、少年時代
肌で怖いと感じていたのかもしれません。
幽霊を定義してみます。
肉体を持っている存在ではありません。
幽霊は、この世に悔いを残した脳の意識だけが
残っている存在なのかもしれない。
亡くなった時に、自分が亡くなったことに
気づかない意識がただよっている。
そういう存在が死を怖くしているのだと僕個人は思います。