要領が悪くて正義感は強いけど理解が遅い僕
僕には師匠がいました。
2013年に師匠はなくなりました。
師匠から僕に必要な文字を
教えて頂きました
それは
忠義です
当初、僕は生意気なので従うことを
学べということかな思っていました
当時僕は、師匠から
「あなたは生意気すぎる」
自分が1番だと思いすぎている。
あなたは、お山の大将ですか?
そんなことを言われていました。
元々の性格は、極端な負けず嫌いで
小さい頃は空手の試合で負けたり、
ドッジボールの試合で負けたら
悔しくて涙を流す少年でした。
とにかく負けるのが嫌だったです。
世界は広くて僕より賢い人は
たくさんいる。
僕より運動神経が、優れている人は
いるのに、、
何故か負けたくなかったのです。
いや負けることを、認めたくなかった
のかもしれません。
相手の優れているところを
認めて自分の肥やしする
考えがありませんでした
大人になってもその性格が、
直らず正義感が強くて人と
よくぶつかることがありました。
正しいか?正しくないか?
それにこだわっていたんんです
いくらこちらが正しくても、
相手には感情があるんです
正しい、正しくないではない
こともあるんだと受け入れる
器がありませんでした
要領のいい人みたいに、
ゴマをすったり偉い人にだけ媚を
売って生きるのが、下手だったのです
本当は、社会では要領よくするのが、
良いのですが、なかなか自分の性格が
それを出来ずにいました。
要領がいい人=卑怯な人
と思っていたのです。
要領のいい人は、卑怯な人が多い
思い込みで要領がいい人は、
卑怯な奴だと考えていたのです
その考えは、間違っていました
相手によって対応の仕方も変える
ことは重要だとわかっていませんでした
従うメンターによって人生が変わると気づかされた経験
師匠は、忠義の意味を、
少しずつ行動と言葉で
僕に教えてくれました。
言葉の意味を書きます
「忠」
直す・正すの意味があります。
誠意すなわち仕える者の心を
知ることにより
従う心を持つことに「自己を正す」
という捉え方を持ちなさい
忠は、南に属する文字で守護神は、
増長天で生命・活力を表しています。
人の生きる知恵と喜びを与えます。
何に従うかは、人それぞれです。
神に従う人・悪魔に従う人、偉い人に従う人
様々だと思います。
僕は、偉い人に従うこと=負け犬
だと勘違いしていたのです。
心から、尊敬できる人に出会えば
尊敬の念から従うことが、
出来ることに気付かなかったのです。
「義」
人としての正しい道
物事に対する義務と責任。
自分の考えに責任が持てるか、
使う言葉に責任を持って
話すことが、出来る心構え
義は、北に属する文字で毘沙門天です
毘沙門天は、人を懲らしめることを
する神として存在しています。
人間の欲に対して、罰を与えるという
ことです。
忠義を知ることで相手の気持ちを理解できるきっかけになる
忠義・・
僕はこれを心に持って生きるよう
にしています。
常に自分は2番手なのだから
お山の大将にならないように
自分を戒めています。
2番手の心を持つと思いやり
相手の気持ちを理解しようと
する気持ちになれます。
自分がこの世で一番の思考なら
相手の気持ちがわからない自己中心に
なってしまいます。
心の中に、
仁・義・礼・忠・信・孝・悌・智
を等しく持つことができれば
人として良くなることができる。
この八文字の心を均等に持ち、
それを深めていく。
僕は、忠・義を与えられたので
この2文字を追求しながら
残りの6文字を心に持てるように、
生きています。
それが、師匠から引き継いだ
遺志のひとつです