誰かのため息ひとつで、背筋が凍りつく夜
家族が帰宅して、玄関のドアをいつもより乱暴に閉めた瞬間。
職場で隣の席の同僚が、キーボードを叩く音がトゲトゲしく響くとき。
「私が何か気に障ることをしただろうか」
「あのときの言い方が悪かったのだろうか」
そんなふうに、胸の奥がざわざわと波立ち、相手の顔色をうかがってペコペコと
愛想笑いを浮かべてしまった経験は誰にでもあるはずです。
相手の不機嫌をなんとか直そうと気を回し、頼まれてもいない雑用を進んで引き受け、
相手のトゲのある言葉を必死で受け止めようとする。
その場はなんとか平穏に収まったように見えても、一人になった帰り道、
どっと押し寄せる深い徒労感とむなしさにおそわれる。
「どうして、私ばかりが我慢しなければならないのだろう」と。
もしあなたがそんな生きづらさを抱えているとしても、決して自分を責めないこと
あなたは弱虫かもしれません。
だけど人一倍他人の痛みに敏感で、場の調和を守ろうと誠実に生きてきた、とても優しい人なのです。
しかし、その優しさの使い方を、私たちはどこかで掛け違えてしまっていたのかもしれません。。
「相手の不機嫌」を直そうとするのは、本当の優しさではない
なぜ私たちは、他人の機嫌の責任まで背負い込んでしまうのでしょうか。
世間では「もっと相手の気持ちを察しなさい」「気配りをして愛を与えなさい」と教えられます。
しかし、私の人生の恩師や、本質を極めた先人は、極めて静かにこう説いていました。
「愛とは、自分の感情をなしにしてその人の為に動くこと」と。
愛とは、感情を揺らして相手に過剰に同調したり、感情をぶつけ合うことではありません。
喜怒哀楽の波立ちから一歩引き、偏りのない澄み切った心(中道)で見守ることこそが、本当の愛の姿です。
私たちが普段「優しさ」や「気配り」だと信じているものの多くは、実は純粋な思いやりではなく、
「嫌われたくない」「怒られたくない」「いい人だと思われたい」という、恐れからくる自己防衛であることが少なくありません。
人は時に、不機嫌や怒鳴り声、トゲのある態度を使って、無意識に周囲を脅し、自分に都合よく動かそうとします。
その不機嫌をなんとか直そうと右往左往する行為は、一見すると献身に見えて
実は「相手の感情をコントロールして、早く安心したい」というエゴの介入になってしまっているのです。
他人が何を思い、どう機嫌を損ねるかは、100%「相手の課題」です。
天気が雨を降らせるのを私たちが止められないのと同じように、他人の心の空模様を、あなたが変えることはできません。
相手の不機嫌をあなたが代わりに背負い込んであげることは、一見優しさに見えて
実は「その人が自分の不機嫌と向き合い、人間として成熟する機会を奪っている」ことでもあるのです。
お互いの間に引かれた境界線を越えて、相手の領域へ土足で踏み込むのをやめること。
ただ静かに「それはあの人の問題である」と預けておくこと。
それこそが、執着のない、大人の真の愛のあり方です。
「課題の分離」と「自灯明」という確かな道標
人間関係の摩擦に悩み、自分をすり減らしてしまうとき、大きな救いとなるのが心理学者アルフレッド・アドラーの思想です。
その本質を誰にでもわかる対話篇として解き明かした名著、岸見一郎・古賀史健 著『嫌われる勇気』は他人に振り回されて生きる現代人のための、まさに強力な精神の解毒剤と言えます。
アドラー心理学の根底にあるのは「課題の分離」です。
「いま起きているこの問題は、最終的に誰の責任であり、誰の課題なのか?」を見極めること。
他者の課題には決して土足で踏み込まず、同時に、自分の課題には誰一人として踏み込ませない。
これは、かつて仏教でブッダが説いた「自灯明」という教えとも深く共鳴しています。
他人に依存せず、他人の顔色を基準にするのをやめ、「自らを灯りとして頼りとし、自分の足で立ちなさい」という教えです。
他人の期待を満たすために生きるのをやめ、自分の人生の舵(かじ)を、自分の手に取り戻すこと。
高価なセミナーや誰かの言葉にすがるのではなく、先人たちが遺してくれた確かな原則を
日々の生活の中でひとつずつ実践していくことこそが、揺るぎない心の自立へとつながっていきます。
他人の不機嫌は、ただの「向こう側の雨」
もし明日、あなたの目の前で誰かが不機嫌なため息をついたとしても。
慌てて傘を差し出したり、自分がびしょ濡れになりながら相手をかばう必要はどこにもありません。
「ああ、あの人の心の中で、いま雨が降っているのだな」
ただ窓越しに雨景色を眺めるように、静かに見守るだけでいいのです。
向こうで降っている雨に、あなたが濡れる筋合いはありません。
他人の機嫌を取るために、あなたの尊い命のエネルギーを使い果たすのは、もう今日でおしまいにしてみる。
あなたに課せられたこの世で唯一の役割は、他人のご機嫌取りではなく
「自分自身の機嫌を自分で守り、何があっても淡々と上機嫌でいること」です。
ふぅっと肩の荷を下ろしてみる。
外の世界がどれほど騒がしく雨風に荒れ狂っていようとも
あなたの内側にある深い静けさだけは、何者にも侵すことはできないのですから。